礒﨑祥吾 (いそざきしょうご)

『留守電β』

インスタレーション

60cm×45cm×30cmおよび 80cm×30cm×30cm


誰かに伝えようとすること、誰かから聞き取ろうとすること、そのすべてがデジタル通信のように間違いなく行われるわけではない。

というか、むしろそのほとんどが確かさを欠いたもので、それでも私たちの祖先はずっと周囲の人々(あるいはその他のもの/こと)と関わりを持ってきたのだ。

いまは文字でやりとりすることが多いから、ひょっとすると文字だけが本物だと思われていて、その言葉の「意味するところ」のポジションはとても弱くなっているのではないだろうか。

人は、文字に起こせるような確かな言葉で、常に誰かに何かを伝えようと思って生きているわけではない。でも、だからといってそこに何もないわけではない。

その「何もない」ように見えることを拾い集めて、何か「腑に落ちる」ことがあるだろうか? あるかも知れないし、ないかも知れない。

ただ、そういったものに耳を澄ますということが、自分の中に思いがけない外部との接点を見出すことでもあると思う。

初めて聴いた音楽を、何となく口ずさんでしまうことがあるように。